なぜ進学しない? - 勝つために、既存の軸を壊す -
2004年 11月 03日
これだけが理由ではないけれど、ひとつは、この分野でやっていては、一生父を越えることができないと思ったからだろうか。
越えられないから、ここはやめようと思ったわけではないけれど、潜在的にそのような意識があったのではないかと考えると、否定は出来ないような気がする。
父は大学の教授である。世の中の誰もが知っている国立T大学の教授。
優秀で、学会でしょっちゅう海外に行っており、僕が受験のときですら、僕より後に寝て、そして先に起きていた。常にパソコンをいじって何かをしていた。教授になったのは、確か、僕が小学校六年のころだから、もう10年以上も前。計算が確かなら、30代でなったはずだ。
人間的な部分-例えば、他人を決してほめないとか、自分が絶対であるとか、短気であるとか-そういったことではなく、単純に業績、というか能力というか、結果というか、そういう意味では、あの人は本当にすごいんだなと研究者の中をのぞいてみて肌で感じた。うちの大学には、僕より優秀な人はたくさんいるし、世の中には、おそらくもっといるだろう。
これだけは確かなのだ。
研究では一番にはなれない。
何が一番なのかは分からないけれど。
研究では父は越えられない。
何をもって越えるというのかは分からないけれど。
じゃ、違う分野はどうだろう。
なんとなく、やれそうな気がする。
なんとなく、だけれど。
サークルの夏合宿で、一年生は最終日に一発芸を披露しなければならなかった。当時一年なのに既に目立っていた僕は、当然ながら先輩からプレッシャーをかけられた。「お前おもしろいのやってくれるんだろ?」「お前に期待しているから」 大体先輩なんて勝手なもので、自分たちがどれくらい嫌な思いしたのかなんてさっぱり忘れて、毎年一年生をいじめるわけだ。中途半端な一発芸をやるわけにはいかなかった。あの程度か、なんて思われるのはまっぴらだった。ただ、普通に勝負したのでは、一番にはなれないというのは、分かっていた。同じ学年は、粒ぞろいだったから。自分を平気で捨てられるようなやつばかりだった。僕は自分を捨てたくなかったし、下ネタなんてまっぴらごめんだった。だから、ちょっと違う土俵で勝負したのだ。勝負する軸をずらしてみる。結果はグランプリだった。
ちなみに、一位は、デブ二人とコアラに似た傑作トリオが、江頭の格好をして、登場し、壇上で跳ね回ったあと、プッチモニ(懐かしい!)のちょこっとらぶのぱらぱらを踊る、という反則技を繰り出してきたグループだった。しかも、1人のめがねデブは、ふりつけを途中で忘れ、あろうことか、途中でケツを出したのだ。ぷりん!て!そして、真ん中で踊っていたコアラは、めちゃめちゃキレが良かったのだ、ぱらぱらの。コアラのくせに!! 酒を飲んだ先輩やOBOGは大喜びである。
めがねデブーず ふゅーちゃりんぐwith コアラ。
普通に勝負して、そんなのに勝てるわけがない!
でも、僕は勝った。
要するにそれと同じことなんじゃないかな。
僕はそういうシフトチェンジを逃げだとは思わないし、僕はそういうのが得意なのだ。どんなことをやったのか、というのは、ちょっと内緒。というか、筋が複雑すぎて、説明するのが面倒。
ちょっとずれるけれど、既存の軸にとらわれることはない。「一発芸」という名前にとらわれることもない。軸は自分で作るもので、何が一番なのかっていうのは、自分が考えることだ。僕は自分の軸を自分で作るし、自分が決めた一番に向かって進んでいく。
前提条件として、その軸と一位は、同時に人からも評価を受けなければならないのだけれども。
究極的には、その軸と一位だっていうことを、父に認めてもらいたいのかもしれない。
その自信は、もちろん、ある。
越えられないから、ここはやめようと思ったわけではないけれど、潜在的にそのような意識があったのではないかと考えると、否定は出来ないような気がする。
父は大学の教授である。世の中の誰もが知っている国立T大学の教授。
優秀で、学会でしょっちゅう海外に行っており、僕が受験のときですら、僕より後に寝て、そして先に起きていた。常にパソコンをいじって何かをしていた。教授になったのは、確か、僕が小学校六年のころだから、もう10年以上も前。計算が確かなら、30代でなったはずだ。
人間的な部分-例えば、他人を決してほめないとか、自分が絶対であるとか、短気であるとか-そういったことではなく、単純に業績、というか能力というか、結果というか、そういう意味では、あの人は本当にすごいんだなと研究者の中をのぞいてみて肌で感じた。うちの大学には、僕より優秀な人はたくさんいるし、世の中には、おそらくもっといるだろう。
これだけは確かなのだ。
研究では一番にはなれない。
何が一番なのかは分からないけれど。
研究では父は越えられない。
何をもって越えるというのかは分からないけれど。
じゃ、違う分野はどうだろう。
なんとなく、やれそうな気がする。
なんとなく、だけれど。
サークルの夏合宿で、一年生は最終日に一発芸を披露しなければならなかった。当時一年なのに既に目立っていた僕は、当然ながら先輩からプレッシャーをかけられた。「お前おもしろいのやってくれるんだろ?」「お前に期待しているから」 大体先輩なんて勝手なもので、自分たちがどれくらい嫌な思いしたのかなんてさっぱり忘れて、毎年一年生をいじめるわけだ。中途半端な一発芸をやるわけにはいかなかった。あの程度か、なんて思われるのはまっぴらだった。ただ、普通に勝負したのでは、一番にはなれないというのは、分かっていた。同じ学年は、粒ぞろいだったから。自分を平気で捨てられるようなやつばかりだった。僕は自分を捨てたくなかったし、下ネタなんてまっぴらごめんだった。だから、ちょっと違う土俵で勝負したのだ。勝負する軸をずらしてみる。結果はグランプリだった。
ちなみに、一位は、デブ二人とコアラに似た傑作トリオが、江頭の格好をして、登場し、壇上で跳ね回ったあと、プッチモニ(懐かしい!)のちょこっとらぶのぱらぱらを踊る、という反則技を繰り出してきたグループだった。しかも、1人のめがねデブは、ふりつけを途中で忘れ、あろうことか、途中でケツを出したのだ。ぷりん!て!そして、真ん中で踊っていたコアラは、めちゃめちゃキレが良かったのだ、ぱらぱらの。コアラのくせに!! 酒を飲んだ先輩やOBOGは大喜びである。
めがねデブーず ふゅーちゃりんぐwith コアラ。
普通に勝負して、そんなのに勝てるわけがない!
でも、僕は勝った。
要するにそれと同じことなんじゃないかな。
僕はそういうシフトチェンジを逃げだとは思わないし、僕はそういうのが得意なのだ。どんなことをやったのか、というのは、ちょっと内緒。というか、筋が複雑すぎて、説明するのが面倒。
ちょっとずれるけれど、既存の軸にとらわれることはない。「一発芸」という名前にとらわれることもない。軸は自分で作るもので、何が一番なのかっていうのは、自分が考えることだ。僕は自分の軸を自分で作るし、自分が決めた一番に向かって進んでいく。
前提条件として、その軸と一位は、同時に人からも評価を受けなければならないのだけれども。
究極的には、その軸と一位だっていうことを、父に認めてもらいたいのかもしれない。
その自信は、もちろん、ある。
by shushokukatsudou
| 2004-11-03 03:42
| 自己分析、自己PR