就職活動のときにあえてその先を考えてみる と 就職活動を通じて、生きるって何か考える


by shushokukatsudou
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コミュニケーションを考える

理解し合えるはずだという幻想

下の記事に追記(*)した。その関連で同じようなことが書いてあるblogがあったのでTB。恋愛における相互理解について、自分のことが書かれているのだが、論理的で分かりやすく、かつ面白いので、興味がわいた人はその他の記事も読んでみてください。


そもそも、「他者」だからコミュニケーションをするわけで、「他者」であるということを意識していなければ、コミュニケーションは成り立たない。議論が白熱し、興奮しだすと、人間は、その大前提を忘れてしまい、「なぜ理解できないの!?」とヒステリー状態、あるいはパニックに陥る。分かっていても、だ。1+1は2だということを理解するのが、実は一番難しかったりする。

昨日、フジテレビ系列の「徳川綱吉~イヌと呼ばれた男」で印象に残ったセリフがあった。討ち入り前の綱吉と大石内蔵助の会話。(実際はなかったとは思うが)

「人間はどう生きるべきなのか、もう一度考えてみろ」
「私は、どう死ぬかを考えています」

命より尊いものはないと考える綱吉と、忠義を果たそうとする内蔵助との、やり取り。どちらが正しいということはない。その鬩ぎ合いが生み出した言葉に出来ない緊張感に、つい引き込まれてしまった。その後、「命を尊ぶ」綱吉がなぜ切腹に処したのか、そこの心理描写については帰省する電車に乗らなければならず見られなかったのだが(残念!)、これもやはりコミュニケーションのひとつだろう。


コミュニケーションとは、必ずしも分かり合うことが目的なのではないのだろう。



そもそも目的ってなんだ、という話ではあるけれど。


就活とは全く関係ない話になったばかりか、当初の文脈ともそれてしまった。何も考えずに書き始めるからこうなってしまう。


・・・ESはこうならないように注意しないと。




-------以下、前記事への追記記事です


・・・しかし、読み返してみると、ひでーこと書いてるな、おれ。ただ、広告代理店に内定した後輩は「適当にあしらっときゃいーんすよ、適当に」と。「その後、肩叩いて、おう飲もうぜって言えば良いんじゃないすかね」。

・・・Dんつーらしーなーと思いましたとさ。良い悪いという問題ではなく、それもひとつの手段だと思うのだ。非常に残念なことではあるけれど!


誰とでも分かり合える、というのは、幻想じゃないかと思う。

分かり合えなくて当然。
その上でどうやってその部分をつき合わせていくか。突き詰めていくか。
それがコミュニケーションじゃないだろうか。

もし、その部分が合致したら、最高にexitingだと思うし、それは基本的には「分かり合えない」者同士だから、なのかな、と思う。
全部分かっている同士が、議論の末分かりあえたとしても、全然面白くない。分かりあえないやつと、少なくともある一部分で分かりあえることができたからこそ、興奮するし、ひょっとしたら感動すらするのかもしれない。

それがコミュニケーションの醍醐味ではないか、と僕は思います。
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by shushokukatsudou | 2004-12-29 19:17 | その他の雑記